和歌浦天満宮 和歌浦天満宮 和歌山県和歌山市にある和歌浦天満宮は、康保年間(964~968)に橘直幹(たちばなのなおもと)が勧請したのが始まりとされています。天神様である菅原道真が901年に太宰府へ向かう途中、風波を避けるために和歌浦に立ち寄り、地元の漁民がもてなしたことがその縁起となっています。 楼門 1605年に再建された朱塗りの楼門は、国指定の重要文化財に指定されています。4本の柱を持つ入母屋造の構造で、一間一戸に本瓦が葺かれています。この形式の楼門としては、国内最大規模の建造物です。軒は扇垂木でのびやかな反りをしています。 全体的には禅宗様式が用いられていて、1階部分に板扉があり、2階は三間二間の珍しいつくりです。 本殿 本殿も国指定の重要文化財で、当時和歌山城の城主だった浅野幸長によって再建されました。桃山時代の建築技術を知ることができる貴重な社殿で、中国の故事や、長寿と富貴の願い、霊獣、花などの彫刻が散りばめられています。建造を担ったのは紀州根来の大工である塀内吉政、正信親子で、正信は和歌浦天満宮上棟の26年後に江戸幕府の作事方大棟梁に任じられています。